投資をしてる人はズルいのか
私が投資を始めたのは39歳のときだった。
39年間もの間、私のお金観は以下のものだった。
「お金とは汗水流してやった仕事の対価として貰える尊いものだから、無駄遣いをせず、病気や結婚、あるいは住宅資金等に備えて銀行に置いておくものだ」
私と同世代以上の人たちはこの考えを持ってる人も少なくないと思う。
「株やら投資なんてのは、欲深い金持ちがさらにお金を増やそうとしてするものだ。だからそういう人たちは往々にして欲をかいて大暴落や詐欺にあったりして損するものだ。
(ていうか損しろ)」
という考えだ。けれどそれは間違っていた。
健全な資本主義社会では人はみな成功するためのチャンスが平等に与えられているとされており「チャンス」とは資本そのものだ。
例えば苦学生が奨学金を借りて高等教育を受ければ、より人生を拓ける可能性が高いだろう。若い経営者はお金を借りて事業を始め、便利なサービスを世に提供するようになるかもしれない。
ここでもしお金を持つ人が全員「自分は人よりお金はある方だけど、人に貸すほどは持ってない。自分はノーリスクで自分の人生を全うするよ。」と言うケチな貸し渋りだったら社会はどうなるだろう?
才能がある苦学生は高等教育を受けられず、有能だけどお金のない経営者は一生目が出ず、社会はどんどん閉じていくことが想像できる。
銀行に貯金を預けているだけの人は、自分がまさにこの「ケチな貸し渋り」と同じ行動を採っていることを自認しているだろうか?
資本主義社会はそれを許さない。
資本主義社会とは言い替えれば「お金を貸す側はリスクに見合う対価を得られるべき」社会のことだ。そうでなくてはケチな貸し渋りが正当化され、モデルが崩壊するのだから。
ときどき「株は過去は右肩上がりだったかもしれないが今後は分からない。」といった発言を見るが、それは資本主義は崩壊しますと言っているのと同じだ。(無論不運にも短期的に下がることはあるが。そしてここでいう『短期的』とは10年以上を指す可能性もあるが。実際私は天鳳で10年以上不調だ)
いい加減「不労所得は悪」「投資はギャンブル」といった価値観に束縛されるのは止めよう。
適正なリスクを負って、堂々と適正な見返りをもらおう。得られた見返りはさらに投資しよう。
それが、それこそが巡り巡って世のため人のためとなり真にフェアな態度なのだから。